忙しいひとのためのフェミニズム③

今回の同人誌、タイトルが決まりました。

 

『水と空気とフェミニズム——わたし/たちが生きのびるために』

 

フェミニズムは、生きていくために必要なのだ。

水や空気がないと、生きていけないのと同じように。

 

タイトルに込めた思いを、サークルのTwitterでも紹介しています。

 

夏のカノープス@文フリ東京参加しますさんはTwitterを使っています 「今日の夏カノ会議で、文芸誌第二号のタイトルが決定しました!👏『水と空気とフェミニズム——わたし/たちが生きのびるために』です。 フェミニズムは「生きていくために」に必要——それこそ水や空気と同じように。→」 / Twitter

 

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タイトルに込めた思い

 

そしてこの記事では、同人誌出版のために、企画者の知識を一定レベルにするために行った読書会での課題図書、ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』をまとめています。

日本語版は2003年に新水社より発刊され、その後加筆修正を経て、2020年にエトセトラブックスより復刊しました。

 

<8章 グローバル・フェミニズム

アメリカ合州国のラディカルな女性たちが、階級的上昇志向をみたすためにフェミニズムを利用する女性たちの集団に反対しなければ、西洋におけるグローバル・フェミニズムは、旧態依然たる偏見をもった階級的に強力な女性たちによって標榜され続けるだろう。(p.80)

 

7章では、白人特権階級の女性がその他の女性を"代表する"ことの暴力性について言及しています。

フェミニズムをより大衆的な運動に引き上げていくことを主張する筆者は、引き続く8章でも、国境を超える連帯について書いています。

 

「白人至上主義的で資本主義的で家父長主義的な西洋文化において、多くの文化的実践には、新植民地主義的な考え方がつきまとっている」とする筆者。

だれが土地を征服し、物を所有し、人々を支配する権利を持ってきたかという発想から脱却できない特権階級の白人女性たちは、あっという間に運動の「所有権」を宣言し、労働者階級の白人女性や貧しい白人女性、すべての有色の女性たちを従者の地位におきました。

 

たとえば、アフリカの強制的な女性器切除やタイの買売春クラブ、中国での女児殺しといった、今なお重要な関心事とされる世界の女性の問題について語るとき、それらは”野蛮で文明の遅れた国であり、啓蒙が必要である"と描きだそうとすれば、既にそこには構造的な抑圧、上から目線的な考え方が存在します。

 

植民地主義を脱却したフェミニズムの視点とは、まずもって、世界中で女性のからだに関して起こっている性差別的な事態を関連させて考えること、上から目線の正しさの押しつけをやめることなのです。

 

<9章 働く女性たち>

仕事は女性を男性支配から解放しないことを、今ではわたしたちは知っている。(p.84)

 

白人特権階級の女性は、仕事こそ女性を男性支配から解放する手段であると考えました。しかし、フックスはその考えを痛烈に批判しました。なぜなら、他の階級の女性は、すでに家計を支えるために低賃金の長時間労働に従事していたからです。

 

問題は、女性は職場でも働き、家庭でも働き、くたくたに疲弊していることにありました。低賃金の単純労働は、女性に経済的自立をもたらすどころか、一方的な搾取の犠牲者であれと言われるようなものでした。

 

解決策としてフックスは、以下の提案をしています。

・家にいて子どもを育てたいと思う男性と女性には、国が代わって給料を支払うと同時に、高校卒業の資格やそれ以上の学位を在宅でとれるような在宅教育プログラムを整える

・最新のテクノロジーを使って、家にいたい個人には、遠隔で大学の授業を見ることができ、それに加えて一定期間だけ実際の教室に出席するような形での学習を奨励する

・仕事が見つからないときには、一、二年のあいだ、すべての市民が合法的に国の援助金を受け取れるようにする

・男性も福祉の援助を平等に受けられるようにする

 

フックスが提案するこうしたプログラムや福祉支援策は、単に女性が家賃や食費などの生活費を賄えるだけの経済力を持つことを目標としているだけではありません。

フックスの定義する経済的自立とは「生活に必要な賃金を手にしつつ、自分らしい人生を幸せに生き、誇りや自尊心の持てる仕事をする」ことです。

 

女性が経済的に自立できるよう賃金格差を是正すること、そして、人生のどの段階においても、より豊かに生きるための学びの機会を得られるようにすること。

 

それができれば苦労しないよ!と叫びたくなります。

遅すぎるくらいではありますが、コロナ禍において、女性の貧困がこれまで以上に表面化した今こそ真剣に検討すべき課題ではないでしょうか。

 

<10章 人種とジェンダー

(過去に)奴隷制度廃止運動に参加した白人女性たちは、当初すべての人(白人女性と黒人)に参政権を与えるよう要求した。しかし、状況が、黒人の男性は参政権を得るものの白人女性は女性というジェンダーゆえに拒否されそうになると、白人至上主義をかかげ、白人男性と手を結ぶことを選んだのだった。(p.93)

 

アメリカにおけるフェミニズム運動(=ウーマンリブ)は公民権運動の盛り上がりと時期を同じくしています。

公民権運動に参加した白人女性は、当然ながら、白人とその他の人たちに、人種という政治的につくられた明確な地位の違いを意識しました。しかし、女性解放運動となると、彼女らはそんな違いなどなかったかのように振る舞い、その他の有色女性たちから反感を買います。

 

しかし、1970年代後半から1980年代にかけてフェミニズムに参加してきた女性(フックスもそのひとり)は「ほとんどの教育を、白人が圧倒的多数を占めているような学校のなかで受けてきた」ため、「女性運動のなかでの人種差別や白人優位を批判しやすい立場に」ありました。

 

筆者が『わたしは女じゃないの?——黒人女性とフェミニズム』というタイトルで、人種や階級について自覚するようフェミニズムに訴えたのもこの時期です。

 

「白人女性が白人至上主義を脱却することができず、フェミニズム運動が基本的に人種差別に反対できなければ、白人の女性と有色の女性のあいだに真のシスターフッドなどできない」

 

フェミニズムはこうして、性差別に限らず、あらゆる人種差別に反対していく姿勢を明確にしていきます。たとえ過去に間違った考え方をしていたとしても、それを正し、変わろうとする意志を持つことは、間違ったことに固執し続けるよりはるかに重要である、と筆者は結びます。

 

<11章 暴力をなくす>

家庭での家父長主義的な暴力は、より力をもった者がさまざまな形の強制力を使って他のメンバーを支配することは当然だ、という考えに基づいている。(p.100-101)

 

DV、ドメスティックバイオレンスについて取り上げるとき、最初に暴かれたのは男性から女性への、あるいは子どもへの暴力でした。しかし、女性もまた家父長主義的でありうる以上、同性間や女性から子どもへの暴力を含む、あらゆる暴力に注目しなければなりません。

 

 

わたしたちは暴力をどういうときに使うでしょうか。

自分の意に沿わない相手を、相手の意に反してでも従わせ、支配する強制力として用います。

物理的に殴る蹴るだけでなく、経済的に困窮させたり、条件付きでしか愛情を注がないことも一種の暴力と言えます。

 

筆者は「支配の文化のなかでは、だれもが、暴力は社会をコントロールするための当然の手段である、と見なすよう社会化されている」とし、「暴力は社会の秩序を維持する当然の手段であると教える母親は、家父長主義的な暴力と結託している」とも指摘します。

 

困難な状況を打開するために知っている唯一の方法が暴力だとしたら、子どもたちが暴力を手放すことはありません。

とりわけ育児においては、交渉や対話など、暴力に代わる手段は確かにあって、しかも暴力よりも有効であるということを示す必要があるのです。

 

→忙しいひとのためのフェミニズム④へ続く