職場に「生理なので休みます」と言えるか

はじめてブログ書きました。ちゅうと申します。

リンクとか写真貼ったり、読みやすく見出しつけたりなどはこれから練習します。

 

初投稿がこれってどうなの、て感じですが、私にとっては現在進行形で重要な問題です。

 

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生理のときは基本寝ていたい

体調が悪くて休みたいとき、職場に「生理なので休みます」と言っていい未来っていつか来ますかね?

それとも女の性は、結局のところ隠しておかねばならない禁忌のままでしょうか?

職場というのが個人的に一つの基準なんです。公私が接着する空間の象徴とでも言いますか。

 

この手の話題になると「わざわざ言わなくていい」という意見もありますが、その裏に「言わせない空気」の存在を感じます。

言いたくない人に言えというのは違いますが、伝えたほうが話が早い場合もあるため、私は遠慮なく言いたい派です。

でも、言ってしまうとどう思われるかは気になります。「気になる」時点で、生理についての発信が尊重される空気はまだ醸成されていないのです。

 

生理って、堂々と言うと変な顔されるのか”

そう気が付いたのは大学生のときです。

 

私は女子校育ちなので、初潮を迎えたときも既に女子に囲まれていたし、

安定しなくて体調不良になりがちだった時期も、そういう話は友人相手に堂々とできました。

 

周期が長い稀発月経、かつ症状の重いPMS症候群と診断されたのは女子大に通っていた時期で、

学内では先輩に相談したり、後輩にアドバイスしたりも普通。

女性特有のこの身体機能について堂々と話すのは当たり前だと思っていました。

 

しかし、他大の学生も所属する学生団体活動などに参加し、男子学生と話すようになってから、その認識は修正を迫られるようになりました。

 

私「ごめん、明日の活動休む」

友(男)「課題詰んでるとか?」

私「いや、生理でお腹痛すぎて」

友(男)「え、あ、そう、そうか。ごめん」

 

なぜ彼が微妙な顔をしたのか、あまつさえ私に謝るのか、当時はとっさに理解できませんでした。

しかし、ちょくちょくこういう場面に出くわし、かつ微妙な顔をするのが男性ばかりではないと気付いてから、私は自然に「生理って直截に言ったらまずい」と周囲の顔色を伺うようになりました。

 

”「理解さえあればもっと生きやすいのに」と思う

でも、別にあえて隠さなくてもいいじゃないですか。

生物学的に女であれば、誰だって向き合わなきゃいけない「生きる」「ことわり」です。

そういう風にできてる。外部の都合に合わせて止めるとかできない。四の五の御託並べる前にマジでしんどい。

 

私は生理中のみならず、一週間ほど前から頭痛や乳房の張り、精神的な落ち込みや注意力散漫といったPMSの症状が強く出るタイプです。

肌も荒れるし、怠いし、酷いときは吐き気や発熱も伴うので、一ヶ月半のうち二週間は正直何も考えず休んでいたいです。

働く現場ではそんな甘えたことも言えないと思い、学生のうちに低用量ピルも試しましたが、服用中ずっと吐き気と頭痛が収まらず逆効果だったので止めました。

今は漢方(補中益気湯、加味逍遥散)でどうにか症状を緩和していますが、効き目は緩やかすぎて微妙(笑)

 

こうした症状は薬を飲んだところでしばらく続きますし、そもそも体調の波が大きいのが生理というもの。

結局、常に一定のパフォーマンスを求められる場所では自分が無理をするしかなく、もやもやしています。

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ピル死ぬほど合わんかった

”「言わせない空気」作りの片棒をちょっとずつ下ろしたい

嬉しいことに、最近は「生理についてきちんと話せる環境作りも大切」という認識が浸透してきており、理解してくれる男性もずいぶん増えたと思います。

私も、夫にはお付き合いを始めた当初から、生理にまつわる自分の症状についてはきちんと説明し、理解してもらうようにしました(もっとも、理解してもらえると確信するだけの信頼があったからこそ付き合ったし、理解されなかったら速攻振っています)。

 

一方で、標題の問いに対しては””と答えます。職場にはまだ言えません。

そういう意味で、私はまだ「言わせない空気」作りの片棒を下ろしきれていない。

安全なところにいたいんです。

 

でも、片棒を下ろすためには、まず問題を抱えている側はきちんと発信しなきゃならないし、提起された側はきちんと受信して一緒に考える、という対話が必要です。

 

自分ではない誰かと何らかの情報を共有する手段として、人間は言語を発達させてきました。つまり、言われなきゃ分からないのが人間。

であれば、やはり「言わせない空気」は問題です。困っている人がいるのに、そもそも議論の俎上に載せないというのは建設的ではありません。

 

私が今こうして書いているのは、そうした空気が確かにあったことを記録すると同時に、

いつかこの文章を「そんな時代もあったのか」と驚きを以て読む人が増えてくれたらいいなと思うからです。

しんどい時はしんどいと言える未来が欲しいし、できるところから私自身も手を付けていきたい。

 

 

 

 

あーーーーーお腹痛い。眠い。食欲は行方不明のまま捜索打ち切り。

寝ます。