”女性差別との闘いなんて、頑張れる人だけでやっててくれ、面倒に巻き込まないでくれ”と思っていた

2021年2月3日、東京オリ・パラ大会組織委員会会長の森喜朗(83)の発言が、女性差別であると話題になりました。

 

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」

「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を上げて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」

「私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ?七人くらいか。七人おりますが、みんなわきまえておられて」

 

JOC評議員の間では、森氏のこの発言に笑いが起きたとのこと。

女性は話が長いから、発言時間に規制を設けるべきという私見が続きました。

 

これがSNSで大炎上。

森氏の「わきまえて」発言に対抗し、「#わきまえない女」というハッシュタグで議論が起きました。

 

ちなみに、菅首相は今回の発言に関し森会長が発言した内容の詳細は承知していないが、スポーツ分野においても女性の社会参画は極めて大事だと思っていると語るにとどまっています。

(リンク先の全文を読むと、いかに菅首相が考えもせず定型文を繰り返しているかわかりますので閲覧注意)

 同じく、加藤信勝官房長官も「森会長の発言の詳細を承知しているわけではない。政府としては具体的なコメントは避けたい」と述べています。

 

つまるところ「ぼく知らないからわかんなぁい」。

 

よくまあいい大人が堂々と言い切りますね。というか、お国のトップです。

 発言の詳細は、ちょっと調べればすぐ出るでしょうに。

 

翌日である今日2月4日、森氏は謝罪会見を開き「女性蔑視」「ご不快な思いをされた皆さまにはお詫びを申し上げたい」として、発言の撤回と謝罪をしつつも、辞任については否定しました。

 

これもなかなかパンチのきいた会見でした。

実際に女性の話が長いと考えているのか聞かれると、「最近女性の話をあんまり聞かないからわかりません」

発言のどこが問題だったと考えているか、なぜ女性だけに限った言い方をしたのかさら問いを重ねる記者に「面白おかしくしたいから聞いてるんだろ」

 

……。

 

しんど。ナニコレ。

 

「失言の宝庫」などと異名される森氏については、昔からそうだった、もうおじいちゃんなんだよ、という意見もありました。

昔からそうだったから、おじいちゃんだから、仕方ない許してやれということでしょうか。

非常によく「わきまえて」いる意見だなと思います。

 

ぜっっっっってえ許さねえからな。過去や年齢が免罪符になると思うな。

そういうことを言っちゃう人ばかりだったから、彼は変われないままここまで来たんじゃないですか。

 

とはいえかつての自分も、女性差別との闘いなんて、頑張れる人だけでやっててくれ、面倒に巻き込まないでくれ”と思っていました。

この世に差別はあふれかえっています。いちいち怒っていたら身がもちません。

ただでさえお金なくて生きるのに精いっぱいなのに、考えたって仕方のないことで悩んでいるのは時間の無駄です。

 

でも、ちょっと思ってしまった。

こういういい子の発想、スマートないなし方こそ、何より差別を助長しているのではないか。

これからの日本を生きる女の子たちに、とんでもない遺産を背負わせているのではないか。

 

一度疑問に思ってしまってからは地獄です。

 

・小学校では「女のくせに野球の本(あさのあつこ『バッテリー』でした)なんか読んでるのおかしい」と言われて静かに本を閉じた。

・中高生時代は通学時の満員電車で痴漢に遭っても黙って耐えた。

・大学ではキャリア・ライフプランについて男性の何倍も苦労して考えなければならないと悟り、一生懸命考えた。

 

もう振り返るのも嫌になります。

 

そのたびに、無意識のうちに「わきまえる女」になるにはどうするか考えていました。

わきまえる女であれば、生きやすくなるからです。

(言い返したり、盾つくことはリアル命のやり取りです。特に満員電車の痴漢については。周囲からの助けが全く期待できない中、一人で駅員のところまで自分より膂力のある犯人を引っ張っていけますか?警察を呼べますか?駅員だって警察だって味方になってくれるかも分からないのに、です)

 

いい子です、本当に。だから今日まで生きてこられたのかもしれません。実によくわきまえる女です。

 

でも!

疑問に思ったからには!

もう前のようにいい子で受け流すことはできません。

黙らなくていいと分かったがゆえに、生きづらい道を行く羽目になりました。

 

今回ブログを書いたのは、ひとえに書ける時間があったから。

意見表明って手軽にできることではないです。言葉を大事にしたいと考えれば考えるほど、まとめるのに時間がかかってしまいますし、批判も怖い。

 

でも、発信していないからと言って、怒っていないわけではないのです。

 

それでもニュースは日々更新されていくし、日本だけでなく世界各国で女性差別はなくなる気配もなく、次のトピックが押し寄せてきます。

めんどくさい。もういいじゃん。仲良くしてこうよ。

 

そうやって未来に責任をなすり付けていくことになります。

 

そうしないために。これ以上、私が過去の私をいじめないために。

 

合法的戦闘フィールドがあります。

選挙。

投票するという形で闘えるんです。

 

賛成できる政治家がいなくても、明らかに賛成できない政治家にノーを突き付けることはできる。

忙しくて、各政党の方針をチェックする余裕がなくても、誰に投票したくないかを決めることはできる。

 

「自分の一票では何も変わらない」という一人になるより、

「自分の一票で何か変わるかもしれない」という一人になりたい。

 

テーマが派生してしまいましたが、現政権の行動が、一国民である私にどういう意見を持たせたか、しっかり根に持って総選挙に行きます。

 

怒るって疲れるなあ。